私の『神人物語』〜運命の出会い〜 教会長
今から43年前の昭和54年、私が中学2年生の時、実家の近隣教会で行われる「手話教室」に参加しました。講師はその教会のご子息で、当時は役所の福祉関係のお仕事をされていたY先生。Y先生の巧みな話術技術で、短期間にたくさんの手話を学びました。
その年、大阪中之島中央公会堂で大阪布教100年の信徒大会が開催されました。ゲストに杉田二郎先生をお招きし、大阪にある教内のガールスカウトと「手話コーラス」を交えてのコンサートがあり、司会はY先生でした。
名曲「戦争を知らない子どもたち」はもちろんのこと、数曲手話を交えて披露されましたが、その中で「人力ヒコーキのバラード」【作詞:山川啓介 作曲:杉田二郎】という曲が心に残り、大好きな曲になりました(今の朝ドラのテーマにかぶりますよね)。
『ある日ぼくは夢見た ヒコーキを作る夢を 自分の足でこいで ブンブンプロペラ回し 空を 飛ぶんだよ
誰もぼくを知らない そんな国へ行きたい いいのさ笑われても 人にはできない何か やってみたいだけ
飛べよ大空高く ぼくの作ったヒコーキ 汚れた悲しみには もうさよならさ』
この歌を歌われている杉田先生と一度でもいいからお話したいなと思うようになりました。
その後、昭和62年に行われた金光八尾の校歌発表会で、Y先生が「二郎さんが来るから、お手伝いしにおいで」と依頼があり、初めて杉田先生と直接お会いすることになり、その年の暮れにあった忘年会にも参加、そこで妻と出会い、結婚式にも参列して下さる流れになりました。司会は当然Y先生でした。校歌発表会から28年後、金光八尾の開校30周年に、28年前とは全く違う立場で杉田先生とY先生、そして私が同じステージにいました。
Y先生は私たち夫婦が名張に行った後、開教記念大祭には必ずお越しくださっています。
大学生の時に参加していた学生会で、Y先生から聴いたお話がとても印象的で、その後私の授業でずっと使わせていただいたものがあります。
「かがみは心の『我』をとる道具。かがみから『が』をとると『かみ』=神の心になる」。
10代半ばで出会ったY先生が、以降の私の人生を大きく前進させてくれた存在であり、私の『神人物語』の主役になってくださっていることは間違いありません。
「和らぎ」バックナンバーへ